「国民経済計算」では、これを「固定資本減耗」と言っていますが、その言い方、私は賛成できかねます。減価償却のほうがいい。この表現だと、減価した分を償う(補う)ために生産物のなかから脇にとりのけて(却)おくものという意味が出るじゃないですか。中間生産物の重複が二重計算されないようにしてGNPという総生産物を計算する。そこから減価償却分を差し引く。そこで残った分は、1年間の生産活動が新たに作り出した生産物です。そこでそれを国民純生産と言います。最終生産物とも言えます。この国民純生産が、人々に所得として分配されるのです。言いかえれば、人々の受け取る所得の合計は、国民純生産に等しい。そこでこの国民純生産のことを国民所得とも呼びます。GNPにたいして国民所得は、だいたい80%前後の大きさになります。この国民所得は、どんな産業でつくりだされたかという生産面、誰に分配されたかという分配面、そこからどんな支出が行なわれたかという支出面の3つの面でとらえられます。その各面に応じて生産国民所得、分配国民所得、支出国民所得と名づけています。分配の中身は表のように区分されています。
ソ連の国家財政の赤字は、公定レートで計算すると、米国の財政赤字を上回るほどの巨額になります。ゴルバチョフ大統領は、財政再建のために軍事費や宇宙開発予算を削減し始めました。それでも89年予算の歳出の15.6%を軍事費が占めています。ソ連政府は軍事費をさらに減らし、赤字国営企業の売却などで財政赤字を半減させる目標を掲げています。膨大な財政赤字を埋め合わせるためには、国債の発行のほか、外国からの借金も必要で、対外債務が膨らむのは避けられません。ソ連が1000億ドル以上の対外債務を抱える大債務国になるのは時間の問題との声も聞かれます。ソ連では資源にしろ熟練労働者にしろ有能な管理者にしろ、まず軍事関連企業に重点的に配分・配置され、国民が普段の生活で必要とする消費財の生産が後回しになりがちでした。
現実の日本の番組供給会社は、バックの株主や資本の大小にかかわらず、みすがらの得意とするジャンルに特化して、地道にその地歩を築こうとしている。衛星テレビ広告協議会(CABJAPAN)に加盟する日本の代表的な番組供給会社15社の98年度の広告営業収入の合計は80億9000万円。同年度の地上波テレビの広告費は2兆円弱だから、まことに微々たる数字でしかない。地上波の10分の1以下の予算で番組をつくらなければならない極限的状況こそ、新しい時代が要請する喬組づくりのための「試練」なのかもしれない。ところで、日本ではついこの間まで放送番組の保存などという思想はなかった。誕生以来、日本の放送業界では「レアもの」に価値が置かれてきたからだ。その証拠に、放送番組の習作権契約は本放送と町放送の2回というのがもっとも多い契約パターン。ここ10年あまりの問に放送番組もあわてて保管されるようになってきたが、2次利用、3次利用のためには、番組関係者一人ひとりに了解をとってまわるような膨大なエネルギーとコストがかかる作業を経なければならない。だから苛作権未処理のソフトは放置され、民放はソフトの「宝田」ではなく「倉庫」だと那楡されることになってしまっている。しかし、台湾、韓国を中心とした束アジア各国では、日本のテレビ番組はアニメのみならず、トレンディー・ドラマも引っ張りだこの人気を陣している。たった1回の放送でお蔵入りさせるのではなく、当初から再利用を視野に入れた番組制作さえすれば、多チャンネル時代のキラー・コンテンツは意外に身近なところに転がっているのではないだろうか。